山中温泉と山中漆器

 山中漆器は安土桃山時代の天正年間(西暦1573年〜1592年)に、越前の国から山伝いに、加賀市山中温泉の上流の真砂村という集落に木地師の集団が移住したことに始まります。
 その後、温泉の湯治客への土産物として造られるとともに、江戸中頃からは会津、京都、金沢から塗りや蒔絵の技術を導入して木地とともに茶道具などの塗り物の産地として発展をしてきました。
 山奥にありながら、古来松尾芭蕉をはじめ多くの文人墨客が訪れ文化と情緒を保ち続けてきた山中温泉の土壌のなかで山中漆器は育まれてきました。

真砂のケヤキの原木
こおろぎ橋

木地

薄挽きや
多彩な加飾挽きなどを可能にする、
縦木取りをはじめとする
山中独自の木地の挽物技術は
他産地の追随を許さぬものがあります。
多くの職人や名工により
その技術が受継がれてきました。

荒挽き輪積み

生命を宿した水水しい樹木を材料とする漆器の木地。
木地挽きには乾燥が肝要。
大体の器の輪郭に削出した木地(=荒挽き)を積んで乾燥させ、
頃合いをみて仕上げます。

塗り

下地を経て中塗りや上塗り、
仕上げに至るまでの幅広い工程があり、
漆芸の根幹となる重要な技法です。
漆黒と言い現わすように、
漆には他の塗料にない
独特の艶と深みがあります。

蒔絵

漆で文様を描いてから金・銀粉を蒔き、
加工や研磨をすることから
「蒔絵」と呼ばれる漆芸の加飾方法。
江戸中頃から会津、京都、
金沢などからその技術が導入され、
木地挽き技術とともに茶道具などの
気品ある塗り物を生みだしてきました。